重いお悩み相談室

誰もが持っている「重い悩み」を解決する糸口になるようなコンテンツを 提供していきます。 あなた一人でなやまないで…悩みをみんなで共感しましょう。

健康

友人関係の悩みからアスペルガーであることが発覚した事例

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投稿者の方
S.Tさん
静岡県
30代・女性

お悩み事例
私は、29歳の時に高校で親しかったお友達から悲しいことを言われました。
「私は、いつも周りの空気が読めなくて話をしている時も違う話をしたりしている。さらに話が続かないから一緒にいても苦痛でたまらない。正直疲れた。」と言われました。
自分は子供の頃から、静かでおとなしくあまり周りとコミュニケーションをとるのが苦手なタイプでした。
一生懸命話をしようと努力してきたけど、それも辛くなり自分なんてこの世からいない方がいいんだと悲観的に考えてしまいました。


解決方法
毎月2回通院している病院の精神保健福祉士さんや看護師さんに相談し、話を聞いてもらいました。
自分にとっての友達は、これだけではない。
気を使いすぎたり疲れてしまうような友達と一緒にいても辛いだけだ。
他にも私に合った友達はたくさんいると思うから。
気長に待ったり、自分から精神治療プログラムなどに参加してみてみるのもよい。
後は、色々空気が読めないことを主治医に相談したら、検査をしてくれて自分がアスベルガーという発達障害だという事が分かった。
これは病気だったんだということが分かってもやもやしていた気持ちが楽になりました。

コメント
まず、精神的な病気や障害は、自らの症状を受け入れることが一番大切だと思います。
恐れずに、勇気をもって、ありのままの自分を、自分が受け入れることによって、次のステップに進めると思います。
その上で、病院に通って、治療に専念する事で良い方向に向かっていきます。

日本には1億2千万人の人間が居ます。
それだけの人が居るのに、1人の気が合わない友達に固執するのはもったいないです。
いろんな人と会って、気が合う人と友達になれば良いんですね。
そのほうが視野が広がりますしね。

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ストレスからの偏頭痛に悩まされた事例

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投稿者の方
M.Kさん
青森県
20代・女性
 

お悩み事例
高校のころ、毎週一回、最悪3日に一回は、吐くほどの偏頭痛を持っていました。
チカチカと目の前が眩しくなったらもうだめで、頭痛がおさまるまで吐いては下痢をしての繰り返しでした。
偏頭痛ニトリよって、毎日不安の日々で、『今日も元気でいられない』『いつまた具合が悪くなるのかな』と悩んでいました。
頭痛が酷いことで具合が悪い日々が続くと、遊びにも行けないし勉強もできないしと、なにをやるにしても集中できず、ビクビクする毎日でした。


解決方法
偏頭痛は、天気が悪いと起こることもあり、なんとも解決策がないように思いましたが、ストレスをためないことが一番の解決策だと言われました。
緊張したりするのもダメで、ゆったりとリラックスするようにと医師に言われそこから、なるべくなにも考えず、好きなことや人とだけ関わるようにしたら心が軽くなり、ストレスを感じることが減っていきました。
すると、自然と偏頭痛が起こる頻度も減り、今では一年に一回あるかないかくらいまで治りました。

コメント
片頭痛はストレスや肩凝り等、様々な要因で起こります。
私も偏頭痛持ちなのでお気持ちはよくわかります。
仰るとおり、ストレスを溜めないことが一番大切ですね。
あとは、パソコンなどであまり目を酷使しないことや、よく寝ることも偏頭痛を治すためには必要ですよ。


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幼少期のトラウマを乗り越えて、精神的な安定を得た事例

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投稿者の方
Y.M.さん
埼玉県
40代・女性

お悩み事例
幼少期にある事情により親戚の女の子(5歳以上年上)と同居していました。
子供の5歳はだいぶ体力的にも精神的にも違います。
今なら「彼女もストレスがたまっていたのだろう」と思えますが、何かにつけ理由なく殴られるのは辛く、学校でもいじめられるようになっていきました。
希死念慮は明確に覚えているのが11歳の時。いまだに消えません。
唯一ともいえる夢というか目標があったのを彼女につぶされてからは、
自分の目標を立てることができず、誰かの言いなりに生きています。

解決方法
根本的には何も解決していません。
逆に年々ひどくなります。自殺未遂をしてからは、
生きるために自傷行為をするようになりました。
結果的には心療内科に行って(不眠症も併発していたので)、薬物治療で多少楽になりましたが、一生解決はしないものとしてうまく付き合う方法を探しています。
精神的にも脳の機能的にも若干問題があるそうなのでしょうがないですね。
彼女に対する具体的な方策は、「物理的に離れ、近寄らない」これが一番効果的だった気がします。
何年も会っていませんが、今が一番安定しているかもしれません。

コメント
幼少期のトラウマは一生残るものです。
物理的に離れて、近寄らない。
私もこれが一番の解決策なのかなと思います。
死ぬくらいなら、問題から離れることも大切です。
それは逃げではなく、自分を守るための具体的な対策なのですから。

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鬱病になってしまったが、子供を気長に説得して理解を得られた事例

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投稿者の方
R.Sさん
福井県
30代・女性


お悩み事例
10年前に鬱病を発症し、病気に関して理解を得られなかった旦那と話し合いの末離婚しました。
当時は発症して直ぐだったので病状も酷くなる前だったのですが、七歳と五歳の子供達との母子生活が始まりました。
旦那とは円満離婚できたので養育費の振込や定期的に合うなど離れた位置からの協力は得られましたが、思う様に病状が回復せず悪化していく一方でドクターストップが掛かり職を失いました。
病状の悪化で他者との関わりが困難になり子供達を学校や保育園に送り出す事もできない状態になっていきましました。
医師からは一時的に子供達を施設に預け治療に専念するように言われましたが、子供達と離れる事だけを拒否し続け何年も子供達をも巻き込んで引きこもり生活になりました。
自分の日常的な事すらできない状態になり収入もなく公共料金などの滞納なども積み重なっていきました。
あまりに病状の改善がみられず突発的な発作に見舞われ気付いたら病院のベッドの上という事も少なくありませんでした。
発症してから10年たった今も通院と内服治療は続いていますが、発症してからの五年程は自身のコントロールも日常生活もマトモに送れない状態の中で母子生活を過ごしていた事が一番、色々な面で悩みを抱えていた時期です。


解決方法
発症した頃は子供達も幼く、日に日に変わっていく私の姿を見て大きな不安感を与えてしまっていたと思います。
数年経った頃に子供達には理解は難しかったとは思いますが、私自身の病気を詳しく説明を繰り返し伝える様にしていきました。
その中で金銭的な部分も、持っていた通帳を全て見せるなど幼い子供に現状を知らせるのは早すぎるのではないかと思いながら曝け出し、医師から告げられていた施設に預け治療に専念するようにとの言葉と、自分は日常生活もマトモに送れない状態ではあるが一緒に居たい思いなど全てを見せる様にしました。
子供に心配かけたくないという思いはありましたが、自分の弱い部分や母として情けなく感じていた部分などを隠さず打ち明けていた事で子供達が私を守る様に変わっていってくれた様に思います。
8年ほど経ちアルバイト程度の社会復帰を果たせる様になった頃には子供達は高校進学という時期に差し掛かっていました。
自身でアルバイトしながら学費を負担してくれたり今現在も体調により働けなくなる事がある為、その様な時も体調を整えて再びアルバイトに出れるまで少しでもバイト代を家計に役立ててくれようと、一番の理解者となり支えてくれる存在になっています。

コメント
鬱病は、そうでない人にとってはなかなか理解されない病気ですよね。
誰でも鬱病になる可能性はあるのに……です。
鬱病という現実を自分で受け入れ、お子さんにも包み隠さず、理解してもらえるまで粘り強く説得をされているところが立派だと思います。
きっとお子さんも鬱病のことを正しく理解する、優しい人に育ったのではないかと思います。
本当に、鬱病は身近な人がどれだけ理解してくれるかによって大きく結果が変わってきますからね。


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鬱病で休職したが、上司や同僚に助けてもらって職場復帰した事例

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投稿者の方
S.Mさん
滋賀県
30代・男性

お悩み事例
私が20代の頃、念願かなって希望した職種につくことができましたが、仕事に就いてから思うようにいかず、初めてのことばかりで戸惑う日々を過ごしました。
その中で、元々人付き合いが苦手な私でしたので、上司からも「わざわざ書類もってきたのにありがとうも言えないのか!」と怒鳴られたり、あまりの業務の多さに休日も出勤してサービス残業を行う日々が続きました。
その中で、疲労もたまり、日に日に疲労からかぼーっとすることが増え、母親にも「大丈夫か?」と心配されながらも、しっかりと返事もできず、ただただ、毎日に疲れ切っていました。
そんなある日、今日もあの職場にいかなくてはいけないのか。と思いながら、通勤途中、急に手が震えだし、突然に、不安と恐怖に駆られ、ついに職場にいくことができなくなりました。
母親に病院に連れられ、その後の「鬱病」との診断を受けました。
ときおり鬱病の名前を聞くことがあっても、まさか自分がなるとは思わず、ただただその時は、こんな自分、もう消えてなくなりたい。そういう考えしかめぐりませんでした。

解決方法
私はうつ病の診断を受けてから、約3か月間仕事を休みました。
その間、自宅で療養しながら、まずは、毎日の生活をしっかりと続けることから始めました。
犬の散歩や掃除・洗濯といった自分のできることをまずはしっかりとできるようにしようとしたのです。
その中で、通院しながら投薬をし、精神状態を安定させるために、カウンセリングも受けました。
少しずつ体調も良くなり、仕事にも3か月後には復帰をしましたが、初めは体調もよく崩してしまうこともありました。
その都度、休んでしまうこともありましたが、別の上司が私の病気について理解をしてくれて、「しんどいときは無理をしたらいけないよ。」と優しく声をかけてもらい、大変助けてもらいました。
また、同僚にも助けてもらいながら、なんとか日々の業務をこなしていくようになりました。
少しずつ仕事にも慣れ、投薬やカウンセリングを続けながら、3年間が経ち、徐々に精神も安定するようになり、今ではカウンセリングも終了し、投薬もなくなりました。

コメント
すばらしい上司・同僚に恵まれて幸せですね。
本当に鬱病は周りのサポートによって大きく影響されます。
包み隠さず、まずは自分の症状を受け入れ、周りから理解してもらうことが良くなる第一歩かなと思います。
今日は辛い月曜日…どうしても辛いのなら、ちょっと休むことも必要かもしれませんね。

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